津村記久子さんの短編『地獄』を巡って、10人の参加者がそれぞれの読み方を披露。クスっと笑いを誘うような作品の語り口も相まって、和やかな会になったと思います。
読書会を経て、もう一度その作品を読んでみるのが楽しいです。主人公は「物語消費しすぎ」の罪で地獄に堕ちた女性小説家でありますが、人が理想を求めて、あるいは欲望に駆られて、やりたいと思ったことを突き詰めてゆくと、その先には必然的に「地獄」が待ち受けているのではないかと思いました。ジブリ映画「風立ちぬ」の堀越二郎とか。『虎に翼』の寅子とか。現世のいたるところに地獄は口を開けていて、私たちは死ぬことなく、地獄を生きているのではないか。妙に人間臭い鬼のふるまいや地獄での試練をタスクと表現するところなどによっても、私たちは天国であり同時に地獄でもある現世をいままさに生きていることを表現しているのかもしれない。そして、地獄に堕ちるとわかっていても止められないのが人間の業というものなのでしょうか。
一方で地獄という概念は、私たちが普段様々な罪を犯しながら生きていることを改めて思い出させてくれるものなのだろうと思います。「物語消費しすぎ」の罪ってなんだよ、と思いましたが、主人公は「すみませんでした」という気持ちになります。罪と言っても、大きなものから、小さなもの、まさかそれが罪だったとは思いもよらなかったものなど、さまざまであるぁとも思いました。行き過ぎると「何ハラ」になるかわからなくて身動きが取れなくなるのとちょっと似ていなくもないですが。
レジ横の棚には津村さんのほかの作品や、津村さんが大きな影響を受けたというカート・ヴォネガット。以前に取り上げた高山羽根子『首里の馬』や、近いうちに取り上げる予定のオースン・スコット・カード『無伴奏ソナタ』も並べてあります。本は一人で読むのも楽しい、でも何人かで読むのもまた、楽しいですよ!そして次回はこちら!
コニー・ウィリスの『最後のヴィネベーゴ』取り上げます。文庫はハヤカワSFの『空襲警報』です。お申し込みは店頭またはこちらから。日時は2024年8月16日(金)19時です。